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■洗硯とは? ■端渓硯について 

▲端渓硯坑分布略図



















▲旧・老坑内略図

■端渓硯について

 名硯として名高い端渓硯は、中国広東省肇慶市の爛柯山周辺から採取されます。その始まりは、今から千四百年ほど前、唐の武徳年間(西暦618年~626年)にさかのぼると伝えられています。 一口に端渓硯といっても、採石される洞坑が何時の時代でも七十坑ほどもあり、それぞれ石の質が異なるので、実際はピンからキリまであるのです。 そのような洞坑のうち、優れた硯石を産出するものに、「朝天岩」や「坑仔岩」、「麻子坑」などがあり、中でも最も優れているのが「老坑水岩」です。 「老坑水岩」は、単に「老坑」とか「水岩」などとも呼ばれます。また、時の政府が直接管理し、皇帝の勅許がないと開坑できない特別な洞坑であったため、「皇岩」とも尊称されるのです。 採石が始められた時期については、諸説紛々としておりますが、地元では明の万暦年間(西暦1573~1620)からだと伝承されています。

 老坑水岩の大きな特色の一つは、他の洞坑が複数の坑道を持つのに対し、蟻の一穴よろしく、たった一つの坑道しか持ち合わせていなかったことでしょう。 爛柯山の裾野を流れる小さな川が「端渓」と言われ、硯石の総称にあてられているのですが、この小川から少し山側へ上がったところに、たった一つの洞の入口がありました。現在では、「旧口」と言われ、人が入らないように柵がされています。 この洞中に入ると、人ひとりが腹ばいになってやっと通れるほど狭くなり、その上、川の水面より下方に向かって進んでいきますから、湧き出す水が溢れてきます。そのため、採石は、川の水が減る冬季の数ヶ月間に限られ、狭い洞中から甕で水を汲み出した後にやっと行うことができるなど、その苦労は筆舌に尽くし難いものだったと、多くの古典籍にしるされています。

 入口はたった一つですが、洞中は幾つかの分岐洞にわかれており、まるで蟻の巣のようになっていました。これは、石工たちが硯材となる石の脈を追い求めた結果でした。 それぞれの分岐洞には名前がつけられ、採れる硯石に微妙な差異がありました。中でも、次にあげる4つの分岐洞の硯石が、たいへん優れ非常に特長的だったため、この4分岐洞をもって、全体の硯石を大別するのが通例となりました。 その4つとは、「東洞」、「小西洞」、「正洞」、「大西洞」でした。この4つの分岐洞の名称は、坑道から掘り進んだ方向に由来し、西洞だけは2つ存在したため分岐洞の大きさによって区別をつけたものです。 ほかの分岐洞の硯石の区分は、「廟尾」は東洞に含まれ、「洞仔」は「正洞」に、「水帰洞」、「拱篷」は「大西洞」に含まれるといった具合に、石質の近いものに包含されています。

 「老坑水岩」の硯石における総体的な特長は、①きめ細かく緻密で強靭な鋒鋩を持ち、②美しくバラエティーに富んだ石紋が現れることが多く、且つ③良墨を用いて使い込んで行けばいくほど、温潤で透明感の高い玉質へと変貌する「力」を持っていることです。 特に③の「力」は、かつての多くの識者が顧みること少なく、この点を理解していなかったため、単に磨墨できる硯石や、単に石紋が多く現れただけの硯石を「老坑水岩」と誤認する結果に陥りました。 4つの分岐洞の硯石に関しても、その石質の微妙な差異は、使い込んでいった後、③の「力」があらわれて初めて区別し得るものなのです。 4つの分岐洞の硯石を区別することは、簡単ではないのですが、概括的に(かいつまんで)申し上げると、鋒鋩の緻密さ、石の温潤さ、石紋の豊富さと色彩の鮮やかさ、そのすべてを持ち合わせている「大西洞」硯石が最も素晴らしく、鋒鋩、温潤さなどは、「大西洞」に引けをとらないが、色彩の面でいささか単調となる「正洞」硯石、石紋の豊かさと色彩は「大西洞」に負けず劣らずながら、温潤さなどに若干欠ける「小西洞」硯石、そして、すべての面で素朴で朴訥としている「東洞」硯石といった具合です。 とはいえ、4分岐洞の差異は、非常に小さなもので、昔から「老坑を手にすれば、他の硯石は棄てるべき」といわれるほど、これらの硯石は貴重なものなのです。

 1971年、当時の中華人民共和国首相・周恩来氏のお声掛りで、老坑水岩の再開が始められました。調査の結果、旧坑道の利用が困難だと判明し、より山側に入ったところに新たな坑道を掘削、最深部であった「大西洞」に真っ直ぐ到達するようになったのです。現代の機械を使って掘られた新坑道は、かつてのような艱難辛苦を味あわずにすむものとなりました。 この折、採石された、かつての「老坑水岩」硯石と同質のものは、中国国外持ち出し禁止となり、日本の市場にはほとんどもたらされておりません。 かわりに、かつては採石されなかった石脈の硯材を発見し、それらを大量に採取しました。これが日本にも多くもたらされた、所謂「新・老坑」と称される硯石です。「新・老坑」の硯石は、石紋なども豊富で、見た目が区別しずらいものなのですが、③の変貌する「力」に欠ける硯材でした。 しかし、その「新・老坑」の硯石すら、今では採り尽くしてしまったと言われています。 それほどまでに掘り返した「老坑水岩」の内部は、かつて分岐洞に分かれていた姿とは、大いに異なるものとなってしまったそうです。

▲大西洞硯石


▲水帰洞硯石


▲小西洞硯石


▲東洞硯石

■端渓硯石の種類

【大西洞硯石(たいせいどう・けんせき)】
貴重な端渓の老坑水巌硯石の中で、最も優れた硯材として史上名高い。極めて微細で強靭な鋒鋩を持ち、清朝の良墨を発墨させるのに最適の硯石。また、現れる石紋も豊かでバラエティーに富み、且つ華やかな色彩を伴う。用美兼備の至宝中の至宝である。 洗硯を繰り返すことで、最もその真価を発揮する硯石であり、洗硯前と後では、まさに刮目して見るべきものである。近年、安易に「大西洞」の名称を用いたものを散見するが、単に美しいものや石紋の多く現れたものを誤認していることが多い。 なお、この硯石ほど墨を選ぶ硯材はなく、中国の古墨(清朝末期以前の墨)の良質のもののみを用いるよう留意するべきである。

【水帰洞硯石(すいきどう・けんせき)】
老坑水巌洞中の最深部にあたり、洞中の水が流れ帰すことがその名の由来。区分的には大西洞の一部分として扱われる。 石質は大西洞硯石と遜色がなく、緻密で強靭な鋒鋩は勝るとも劣らない。ただし、現れる石紋が少なく、天青一色のものなど大西洞硯石に比較して穏やかで渋めの硯材が多い。 石紋が少ない分、より実用向きと言えるが、用いる墨は、やはり中国の古墨との相性がよい。

【小西洞硯石(しょうせいどう・けんせき)】
大西洞と石脈が同じ系列である。石質や石紋、石色など大西洞硯石と非常に似通っているが、それぞれ少しずつ劣る。例えば、大西洞硯石と比較して石中の温潤さがなかなか満たされず、鋒鋩も大西洞硯石ほど微細ではないものが多い。 中国の古墨と相性が好いことは、他のものとかわらないが、鋒鋩がほんの少し粗い分、大西洞硯石よりも汎用性がある。

【正洞硯石(しょうどう・けんせき)】
大西洞と石脈を異にし、独特の持ち味を有する。石質や石紋は、大西洞硯石と引けをとらないものの、その石色が大いに異なる。洗硯を経れば経るほど、その色彩が抜けるがごとく変化し、いぶし銀のような独特の風格を持つ。所謂「全面蕉葉白」という伝説を生んだのもうなずけるほど。 鋒鋩もなかなか強靭で、大西洞硯石と同じく中国の良質の古墨と採り合わせるのがよい。

【東洞硯石(とうどう・けんせき)】
老坑水巌洞中上方に位置する分岐洞。大西洞とは些か石脈を異にする。大西洞硯石の煌くような美しさに比較すると、朴訥とした野武士の如き強さを有する。 現れる鋒鋩も力強く、古墨の中でも真品の明墨と最も相性がよい。

【老坑硯石(ろうこう・けんせき)】
 老坑水巌硯石の質と力を持ちながら、「大西洞硯石」などの分岐洞と明確に区分けできないものを、単に「老坑硯石」と呼んでいる。おそらく、分岐洞中に収まらない採石通路などの硯石と思われる。諸坑のものに比べれば、石質などは十分に素晴らしい。  用いる墨に関しても、前記三硯石よりも、老坑水巌硯石の持つ魅力をより自由に愉しむことができる。

――《老坑水巌以外の端渓硯石》――――

【麻子坑硯石(ましこう・けんせき)】
端渓第二の硯坑「麻子坑」の硯石。美人と称賛されるほど麗しく、硯としての石質も細潤で優れている。ただし、洗硯を繰り返していくと、辿り着く先が「薄」にして「澹」、鋒鋩も老坑水巌硯石に比して均一性に欠け、いささか退鋩しやすい。 高品質なものであれば和墨・唐墨ともに適応し、汎用性が高い。

【坑仔巌硯石(こうしがん・けんせき)】
 端渓第三の硯坑「坑仔巌」の硯石。質朴で古色蒼然としており、また、実用の面でも鋒鋩が強く下墨がよい。ただし、石中に粗燥の感が最後まで残り、鋒鋩も緻密さに欠け、やや粗目が適する。 墨を選ばない実用硯としては最上位の硯石である。

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