■日本の墨匠 ※2019年春季余舫雲竹氏の特別企画


奈良墨

平城京の昔より墨作りをしてきた奈良。中世になって興福寺の塔頭・二諦坊において油煙墨を開発。松煙墨より漆黒に色が出ると称賛されて、
「南都油煙」は大流行。織田信長が京都へ上洛した際には、興福寺より100丁の油煙墨が献上されたり、畠山さんや朝倉さん、毛利さんに島津
さんなどなど戦国大名がこぞってご愛用。江戸時代を通して、墨と言えば奈良って具合に市場を席捲し、その隆盛は今日に至ります。    
                               
■古梅園
  HP URL http://kobaien.jp/
 〒630-8343 奈良県奈良市椿井町7番地  TEL.0742-23-2965
    天正5(1577)年、楠木正成の後胤という松井道珍(元の姓は植田)が創業。400年以上前から今に続く、言わずと知れた奈良墨の老舗です。江戸初期、当時新興であった古梅園は、5代・元規、6代・元泰、7代・元彙が奈良墨の改良に取り組み、延喜式の製墨法の解明や、極上油煙墨の豊山香、それまで奈良では作られていなかった高級松煙墨の千歳松などの開発に成功。さらにより唐墨に近づける為に、長崎の出島へ赴き中国人と面会し製墨法を尋ね、中国の広膠を用いた唐式墨を製造。禁裏および将軍家御用を勤め、日本の墨のオピニオンリーダーとして存在し続けてきました。
 ちなみに、千歳松の登場は、本場中国では廃れていた松煙墨を日本においては再評価することになり、「唐墨は油煙より松煙が上質」という誤った認識を後々まで残すことになりました。日本人の松煙墨好きの契機になったと思います。

研舎おすすめ品
椿油油煙墨

鹿膠油煙墨

 解説: 高品質の油である椿油を用いて作られた油煙墨。代表的な菜種油や胡麻油よりも黒味が少しだけ落ちる分、和墨には珍しく淡墨での紫があらわれる。良質の古い唐墨が持つ光沢や透明感には及ばないものの、爽快な色合いを呈しています。


 サイズ:8.4×2.4×0.8cm
価 格:在庫なし


 解説: 古梅園の蔵に残されていた古い鹿膠を用いて作られた油煙墨。膠の効用故か、一般の和墨より伸びがよく、硯への当たり軽やか。同様の効能を持つ古い阿膠を使った製品より、光沢や透明感が若干強いので、黒味を求める書よりも画に向く。


 サイズ:8.4×2.2×0.7cm
価 格: 



■松壽堂
  HP URL(奈良県工芸協会)
 http://sns.nara-craft.org/?page_id=637/
 〒630-8344 奈良市東城戸町10  TEL.0742-22-3023
  

 餅飯殿町にあった森若狭の流れをくむ墨匠。森若狭は、森丹後と共にかつて奈良を代表する屈指の墨匠で、個別の墨屋名を載せる史料の初期のものからその名を連ね、貴重な興福寺二諦坊の墨型を保持、いち早く禁裏や幕府の御用を勤めていました。それ故、その流れをくむ松寿堂も、未だに宮内庁ご用達。その製品は、言ってみれば典型的な南都油煙墨でしょう。



■墨運堂
  HP URL
 https://boku-undo.co.jp/index.html
 〒630-8043 奈良市六条1丁目5番35号  TEL.0742-52-0310
 文化2(1805)年、角屋九兵衛が御坊藤という屋号で餅飯殿町に創業。明治2(1872)年北魚屋町に移転し、松井墨雲堂と改称。明治33(1900)年奈良女子大学の設立にともない後藤町へ移り、松井墨運堂とさらに改称、昭和25(1950)年株式会社墨運堂となった。
 研究熱心な現会長が百選墨等いろいろな名墨を生み出して、書道界の絶大な支持を得ています。もっとも、一番儲けたのは、木工ボンドと同じ成分を加えた墨汁の販売だったと思いますが。今や様々な用品を扱う書の総合デパートでしょうか?



■呉竹精昇堂
  HP URL
 https://www.kuretake.co.jp/
 〒630-8670 奈良市南京終町7丁目576  TEL.0742-50-2050
 綿谷奈良吉が明治35(1902)年綿谷商会として創業。東京神田の筆匠・岡田平安堂の取り扱いとなって躍進。大正13(1924)年、精昇堂商会と改組。戦争から復員した息子兄弟が高級墨以上に安価な大衆墨販売に活路を見出す方針を決め、精昇堂と呉竹の二本立てで営業。煉り墨、墨汁、サインペンから筆ペンの販売と大成功、呉竹精昇堂と一本化して以降、今日では墨匠というより文具の総合メーカー「Kuretake」ですね。



■一心堂
  HP URL
 http://issindo-nara.jp/
 〒630-8228 奈良市上三条町3-9  TEL.0742-27-3261
 元は菜種油を使った煤を採る採煙業を営み、大正年間に墨筆製造として一心堂を創業。観光客が集う奈良の三条通りに店舗を構え、墨筆ともに書家の愛用者が多い。



■玄林堂
  HP URL(奈良製墨組合)
 http://www.sumi-nara.or.jp/kigyou7.html
 〒630-8453 奈良市西九条町2-3-17  TEL.0742-63-0255
 享保2(1717)年、墨屋又四郎が創業。昭和63(1988)年に高天町より現地に移転。人気のある「九十九寿」や「鶴亀墨」等の製品がある。



■勝栄堂
  HP URL(奈良製墨組合)
 http://www.sumi-nara.or.jp/kigyou9.html
(旧)〒630-8113 奈良市法蓮町南1-1161 (旧)TEL.0742-23-3005
 安政3(1856)年12月、福井庄八が創業。昭和60(1985)年9月狭川奈良蔵が福井静子より継承。昭和61(1986)年7月清水初男が狭川の後を継ぐ。看板商品の「宮殿墨」や「書芸」、「平安朝」などの製品が知られていた。残念ながら、現在は墨汁製造の祥碩堂(〒630-8325 奈良市西木辻町113 TEL.0742-22-4256)に買収され、「宮殿墨」はそちらで販売されているようです。



■桂林堂
  HP URL(奈良製墨組合)
 http://www.sumi-nara.or.jp/kigyou5.html
(旧)〒630-8335 奈良市鳴川町42 (旧)TEL.0742-22-3744
 江戸時代の墨屋清七が始祖。大正11(1922)年に桂南園として復業。昭和8(1933)年、桂林堂と改称。昭和11(1936)年杉ヶ町より脇戸町へ移り、さらに昭和41(1966)年鳴川町へ転じた。数年前、同業者某へ救済を求めるも断られ、敢え無く廃業。後、某にてその在庫商品が販売処分されたそうです。



■南松堂
  HP URL
 http://nanshouen.com/
 〒630-8113 奈良市法蓮立花町301-1  TEL.0742-23-5532
 大正11(1922)年創業。昭和9(1934)年北袋町より法連立花町へ移る。「大御門」。



■玄勝堂
  HP URL(奈良製墨組合)
 http://www.sumi-nara.or.jp/kigyou6.html/
 〒630-8261 奈良市北市中町48  TEL.0742-22-4909
 大正8(1919)年16歳の上垣伊三郎が墨匠を志し奈良へ赴き、昭和10(1935)年より店舗を営む。「寧楽墨」。



■日本製墨
  HP URL
 http://nihonseiboku.co.jp/about.html
 〒630-8243 奈良市今辻子町37  TEL.0742-22-2605
 大正9(1920)年10月、玉翠堂の大森徳兵衛ら7人が大日本製墨株式会社を創設。昭和8(1933)年6月同社解散後、坂倉文五郎が大日本製墨合資会社へ改組して継続。昭和35(1960)年8月日本製墨合資会社と改称。合併した墨匠等は江戸時代創業の老舗を含む、宮武春松園、大森玉翠堂、中林篤老園、上田令光堂、符坂玄林堂、符坂玄勝堂、祐岡栄松園、坂倉文賞堂、宮竹佐兵衛(松煙業)。平成6(1994)年屋号を「書遊」と変更。看板商品「萬世」。



■喜寿園
  HP URL
 http://sumi.kijuen.com/
 〒630-8248 奈良県奈良市西新在家町12  TEL.0742-22-4172
 明治33(1900)年、小林喜市が創業。



■錦光園
  HP URL
 http://kinkoen.jp/
 〒630-8244 奈良県奈良市三条町547  TEL.0742-22-3319
 



■木下照僊堂
  HP URL
 http://www.kinoshitashousendou.co.jp/
 〒630-8326 奈良市瓦堂町8  TEL.0742(22)2248
 明治5(1872)年(明治初年とも?)朱墨業を営む。



紀州などその他の墨

文房四宝全てが地産地消の傾向が強く、南都油煙が一世を風靡する以前は、墨もいろんな所で作られていたと考えられます。史書には、播磨や
大宰府、淡路、讃岐、伊予、丹波など国単位の産地や、藤代(和歌山)、武佐(滋賀)、太平(京都その他)などの地名や商品名の記録が残さ
れています。現在これらの遺品はほとんど目にすることができませんが、凡そ松煙墨だった考えられています。              

・藤代墨…建長6(1254)年の『古今著聞集』に、後白河院が熊野詣の途次、藤代宿で試した松煙墨として記され、しばしば貴族の歌に登場。名墨
     として知られる一方で、質にムラがあったとも。室町時代あたりでその生産は終わっていたらしい。              
・藤白墨…古梅園が起こした松煙墨ブームの煽りを受けたというべきか、冷泉家より紀州藩へ「古歌に詠まれた藤代の墨は今は如何?」と質問が
     来たことを契機に、あざとい紀州藩が湯浅村の橋本治右衛門に命じて寛保2(1742)年頃に復興させた墨。元の「代」から一字を変えて
     「藤白」と表記。松煙墨かと思っていたら、油煙墨だったなんて説も。天保13(1842)年に廃業。                 
・武佐墨…近江国武佐宿近隣で作られていた松煙墨。古梅園6代松井元泰がこの地を訪れた際、かろうじてその製法を伝える人物がいたらしい。 
・太平墨…古くから山城など色々なところで作られていた劣悪な松煙墨。書画に用いるより、水を張った大甕に投げ入れ棒でかき混ぜるなどして
     、拳法染などの反物の染色に使われたらしい。                                       

また、江戸時代を通じて、大坂や京都には一定数の墨匠が存在していたようです。                            
             
■鈴木梅仙
  HP URL
   
 紀州田辺の鈴木清八(号・梅仙)が、実兄の松煙問屋を手伝う内に製墨を志し、慶応3(1867)年に創業。明治13(1880)年大阪へ移り、また東京へ出張所を設け「倣(人偏に方)古園」と称す。勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟などと親交し、多くの書画家がその墨を絶賛、明治から大正にかけて、著名な墨匠となりました。大正7(1918)年没。次男の三郎が二代目を継承。昭和2(1927)年その病没をもって廃業。
 初代梅仙は清朝の墨を悪いものと否定し、自らの製墨はそれと異なる強膠の墨で、明以前の中国の良墨に匹敵すると豪語していました。松煙問屋から出ているので、製品のメインは松煙墨だと思いますが、実際は油煙の方が多かったなんて話もあります。また、海藻を入れるなどユニークな製墨法だったとの話もあります。まぁ、いずれにしても、江戸時代の古梅園による「唐墨は油煙より松煙が上質」という誤認を、わざわざ極めてしまった感がありますね。明治17(1884)年に中国へ渡航した漢学者・岡鹿門が、梅仙から依頼されてその製品を帯同、上海で胡開文の主人に鑑定を頼むと、光無き梅仙墨はけちょんけちょんに貶されて、「梅仙蕩尽家産」なんて記録されてしまう始末。それも、文房四宝の相性というものをちゃんと理解していなかった日本の事情を踏まえれば、致し方ないことなのでしょう。

研舎おすすめ品
桂花墨



 解説: 古梅園の倉庫に残されていたもの。それ故、古梅園製品かと誤解されがちですが、昭和48(1973)年に開催された「梅仙墨展」の図録に掲載されており、梅仙製品に間違いない。思うに、2代目梅仙廃業時の在庫を古梅園が引き取ったのではないでしょうか。

 サイズ:9.8×2.5×0.8cm





■玉泉堂
  HP URL
(旧)〒510-0243 三重県鈴鹿市白子6436 (旧)TEL.059-386-0066
 かつて、伊勢(鈴鹿あるいは白子とも)墨を代表していた墨匠。伊勢国河芸郡の伊勢型紙を扱う商人であった長島孫四郎が、型紙を使った染色用に奈良へ注文していた墨を自ら作ろうと考えて、元治元(1864)年奈良の高天市町に長島製墨工場を創業。明治3(1870)年鈴鹿市白子町へ移転。材料の松材は隣国紀州の熊野から、膠は近隣の松坂から有名な松坂牛の原皮を用い、その他の化学製品は工業都市・四日市からと、立地環境を存分に生かし事業を発展。東京店や名古屋店を置いて幅広く展開して行きました。
 伊勢墨の発端は綿布等の染色用としてでした。玉泉堂の広告などではそれ故に高級な墨だと解説していますが、江戸時代の太平墨の事例で分かるように、それはむしろ逆でしょう。また、染色用の墨が主に松煙であり、「唐墨は油煙より松煙が上質」という誤認が、この場合かえって幸いする事になったのでしょう。面白いことに、伊勢墨の墨匠は、松煙墨から始まり、材料の松材の不足等に伴い油煙墨も作るようになるという、お決まりの道を歩みます。
 墨から筆なども扱う総合販売店化していった玉泉堂は、製墨は関連企業であった梶口製墨所(〒510-02 三重県鈴鹿市白子本町13-13 TEL.059-386-0066)等で下請させるなどしながら継続し、2010年前後に廃業に至りました。



■栄寿堂
  HP URL
(旧)〒510-0243 三重県鈴鹿市白子2-7-43 (旧)TEL.059-386-0065
 和田甚こと栄寿堂として、著名な書画家に愛された墨匠。玉泉堂と同じく今は無き伊勢墨の名店です。廃業間もないので、近年その在庫が市場を賑やかにしていますね。
 ちなみに、鈴鹿の墨匠は上記以外に、薗浦利右衛門の古照園製墨本店(三重県鈴鹿市磯山町678)、伊藤玄泉堂(〒510-02 三重県鈴鹿市白子2-33-27 TEL.059-386-0566)、青山春光堂(〒510-02 三重県鈴鹿市江島町1034-1 TEL.059-386-0091)、菊池文誠堂(〒510-02 三重県鈴鹿市五祝町455-2 TEL.059-386-1686)、喜田玉光堂(〒510-0243 三重県鈴鹿市白子2-6-11 TEL.059-386-0158)など、かつて7~8件あったようです。



■進誠堂
  HP URL
 http://www.suzukazumi.co.jp/
 〒510-0254 三重県鈴鹿市寺家5-5-15  TEL.059-388-4053
 伊勢墨で唯一営業を続ける墨匠。先代は、はじめ奈良墨の職人をしていたと耳にしたことがありますが、確かではありません。今や財布だのお香だの、いろいろと大活躍ですね。



■紀州松煙
  HP URL
 http://www.kishu-shoen.com/
 〒646-1101 和歌山県田辺市鮎川1912  TEL.0739-49-0801
 もともと奈良で作られていた墨汁用の煤を採る採煙業から転身し、墨自体を作る様になったと聞いています。鈴木梅仙でもわかるように、紀州田辺は昔から松煙煤を作る採煙業者が多いのですが、今では鉱物性カーボンブラック等の油煙煤も含め、幅広く扱うようです。


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